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コニカミノルタ(KONICA MINOLTA)とはどんなメーカー?

コニカミノルタは、ともに写真関連商品や複写機などのオフィス製品などを製造していた「コニカ」と「ミノルタ」が2003年8月に経営統合して発足したコニカミノルタホールディングス株式会社を前身としています。
その後、2013年4月に「コミカミノルタ株式会社」に社名が変更されました。

 

現在、コミカミノルタは主に複合機(MFP)、プリンター、印刷用機器を中心に取扱う電気機器メーカーとして知られています。

 

コニカミノルタの本社ビルであるJPタワー
コニカミノルタ本社ビル
出典・JPタワー 東京都千代田区・超高層オフィスビル

 

歴史あるカメラメーカー同士による大統合

「コニカ」と「ミノルタ」は、ともに戦前からカメラの製造・販売を行ってきたカメラのメーカーであり、「コニカ」は1873年に東京で、「ミノルタ」は1928年に大阪で誕生しました。

 

その後、歴史あるカメラメーカーとして大手ブランドに成長した両社は、長く日本のカメラ市場を力強く牽引していました。当時は「カメラはコニカかミノルタ」と評されるほどでした。

 

何故、これほどのメーカーが経営統合し、しかもメインとしてカメラではなく複合機などを取り扱うことになったのでしょうか。
その背景にはカメラ市場における激しい市場競争がありました。

 

「ミノルタ」が複合機メーカーに

歴史あるカメラメーカーとして日本のカメラ市場をほぼ独占していた「コニカ」と「ミノルタ」ですが、戦後、「Canon」や「富士フィルム」といったライバル企業の台頭もあり、市場における両社のシェアは徐々に減っていきました。

 

特に「ミノルタ」は80年代にカメラをめぐる特許侵害訴訟に巻き込まれたこともあり、カメラ事業を縮小し、複写機を中心とする事務機器が主力となりはじめました。

 

首位争いに敗れた「コニカ」

一方、「コニカ」は70年代に台頭してきた富士フィルムと激しい首位争いを繰り広げていましたが、宣伝力に勝る「富士フィルム」についに首位の座を渡すこととなり、それ以降、シェア一位の地位を奪い返すことはできませんでした。

 

その後も、カメラメーカーとして頑張ってきた「コニカ」でしたが、後発メーカーの勢いに対抗することができず、経営方針の大転換に迫られたのです。

世界初の連動ストロボ内蔵35mmカメラ「C35EF(ピッカリコニカ)」
世界初の連動ストロボ内蔵35mmカメラ「C35EF(ピッカリコニカ)」
出典・minolta SR-1s、Autohalf SL、PRIMOFLEX、KONICA C35 EF | イエネコカメラ

 

「コニカ」と「ミノルタ」の大統合

「コニカ」が起死回生の手段として選んだのが「ミノルタ」との経営統合でした。
2003年8月、「コニカ」は経営が悪化していた「ミノルタ」と経営統合し「ミノルタ」を完全子会社化することに成功しました。
その後、「コニカミノルタホールディングス株式会社」は「ミノルタ」を完全合併、またカメラ部門からの完全撤退を発表し、複合機を中心とした電気機器メーカーとして生まれ変わりました

 

ロゴの秘密

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「コニカミノルタ」は「コニカ」が「ミノルタ」を合併することで誕生しましたが、その気風は「ミノルタ」のものを強く受け継いでいました。
そのことは「コニカミノルタ」のロゴマークによく表れています。

 

ミノルタのロゴマーク

「コニカミノルタ」の企業ロゴマークは“グローブマーク”といい、地球をイメージしたデザインに

  • 光学
  • 化学
  • 電気
  • 機械
  • ソフトウェア

の画像情報の分野における技術力の総結集をイメージした5本のラインと、楕円形はユーザーに対する信頼と安心を提供し、また技術力の結集と調和を表すシンボルとしています。

 

実はこれは「ミノルタ」のログマークであったものを、引き継いで使っているのです。

 

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「コニカミノルタ」に関するデータ

設立/2003年(合併)
創業者/山名昌衛(コニカミノルタ初代代表取締役)
資本金/375億19百万円(2013年当時)
本社住所/東京都千代田区丸の内二丁目7番2号
現社長/山名昌衛
従業員数/41,844名(2013年当時)
主な子会社
コニカミノルタフォトイメージング株式会社
コニカミノルタビジネスソリューションズ株式会社
コニカミノルタビズコム株式会社
株式会社コニカミノルタサプライズ
コニカミノルタ情報システム株式会社
コニカミノルタビジネスソリューションズ株式会社
など

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